|
''HITOTSUYAMA RACING(ひとつやま レーシング)は、日本のレーシングチーム。代表は一ツ山康と彼の弟の一ツ山幹雄。彼らも、自らオーナー・ドライバーとして、自チームで今までにレース参戦している。 == 沿革 == 1990年より全日本ツーリングカー選手権 (Gr.A)への参戦より活動を開始。BMW・M3でClass2に参戦していた。1994年からは、引き続き全日本ツーリングカー選手権 (JTCC)にBMW・318iで参戦していた。 1996年より全日本GT選手権(現SUPER GT)に参戦。当初はGT300クラスにBMW・M3で参戦していたが、2000年からはGT500クラスにステップアップしマクラーレン・F1 GTRで参戦。2004年からは同じくGT500クラスにフェラーリ・550マラネロで参戦した。また、2002年と2003年の途中まではオーナーである一ツ山兄弟が、再度GT300クラスにBMW・M3で参戦し、2005年にリニューアルオープンした富士スピードウェイを、2003年以来2年ぶりにマクラーレン・F1 GTRが登場した。 しかし、この年限りでSUPER GTから撤退を表明した。 2006年以降は、同年スタートした全日本スポーツカー耐久選手権にもエントリーの意思をいち早く表明した。マシンは前年までSUPER GTで走らせたLMGT1クラスのフェラーリ・550マラネロと、LMP1クラスの、ザイテック・05Sである。 ザイテックは、当初から速さを持っていたため、全戦でポールポジション獲得したが、信頼性に乏しく決勝はまともに走る事ができず不完全燃焼に終わった。それに対し、フェラーリのほうは2年間SUPER GTに参戦し信頼性の確保ができていたことなどから、最初の2戦では総合優勝を成し遂げた。最終戦はルマンに参戦したマシンそのものを出したランボルギーニ・ムルシエラゴの速さに追いつけず、またトラブルもあり完全優勝は成し遂げられなかったが、完走をし見事GT1クラス初代王者に輝いた。2007年も同シリーズに参戦し、これまでどおりザイテックとフェラーリを走らせる一方で、新たにLMGT2クラスにポルシェ・911(997 GT3RSR)を投入した。この年はザイテックの信頼性が大幅に向上し、開幕から連勝してライバルの無限クラージュを下し、最終戦を待たずにしてタイトルを獲得した。また、昨年のチャンピオンのフェラーリも台数が少なく実質同クラスのライバルが不在という中であり、こちらも最終戦を待たずに2年連続タイトルを決めた。 しかし、同シリーズはこの年限りで終焉となった。 その後、2年間チーム活動を休止を経て2009年に再びSUPER GTに参戦することになった。マシンはアストンマーティンDBR9を使用し、ドライバーは都筑晶裕と土屋武士が担当する。この参戦目的は、同年岡山国際サーキットで行われるアジアン・ル・マン・シリーズでのLMGT1クラス優勝であるためのテストの意味合いが強く、エアリストリクター径と最低車両重量は2009年ル・マン24時間レースのレギュレーションに沿っている。Rd.1岡山、Rd.3,7富士スピードウェイ(岡山はアジアン・ル・マン・シリーズが行なわれる=WTCCと併催)に参戦した。 SUPER GTにおいては、ポイントを得ることができなかったが、アジアン・ル・マン・シリーズでは第2レースで優勝し、シリーズ2位になった。 2012年、SUPER GTのGT300クラスに再び参戦する事を発表した。マシンはスーパー耐久のST-XクラスやGTアジア、ILMCズーハイ戦等で用いられたアウディ・R8 LMSであり、またドライバーにはGT初の女性ドライバーとしてスイス出身のシンディ・アレマンを起用することとなっている。 2014年にはアウディジャパンともパートナー契約を結びドイツのアウディスポーツからのバックアップを受ける事になり、これに伴いチーム名が「Audi Team Hitotsuyama」となった。 JLMC Ferrari 550GTS.JPG|JGTC及びJLMC参戦車両(フェラーリ・550マラネロ) JLMC Zytek 05S.JPG|JLMC参戦車両(ザイテック・05S) JLMC PORSCHE 997.JPG|JLMC参戦車両(ポルシェ・997GT3RSR) Richard Lyons 2014 Super GT Suzuka Race.jpg|GT300参戦車両(アウディ・R8) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一ツ山レーシング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|